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2010-02-17
穴場情報「高原城初代城主[次利]のこと」【本村地区(家プロジェクトのエリア)】

 

国立公園瀬戸内海の原点といえる備讃瀬戸の要衝の地に直島町は27の美しい島々で形成。ベネッセ美術館の現代美術は安藤建築と共に広く知られており、ユニークな公共建物・石井建築も人気が高い。

400年ほど前、高原次利が水軍の将として古城山に城を築き、本村はその城下町。次利は天正10年(1582)豊臣秀吉の備中高松城攻略の際、海上警備につき功績が認められ、直島、男木島、女木島の3カ島600石の所領を許される。

次利は、当時としては珍しく88歳の長寿を全う、高原氏中興の祖とされる。これは室町時代・享禄4年(1531)から徳川時代二代将軍秀忠の元和5年(1619)まで生きた。織田、豊臣、徳川の乱世を生きた人であった。

備前、讃岐で多くの大小名が姿を消した中で、江戸初期までの90年間の基盤をつくった人物。関ヶ原合戦でちゃんと東軍の徳川方についたことなど天下の形勢をよく読んでいた。そして「寛永諸家系図伝」に残る名家となる。北の寺の高原氏墓地の見事な五輪の塔ら(町文化財)、八幡神社の鳥居(県文化財)は高原氏の豊かさと活力、高い文化が伺える。